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弥生時代前期の土笛の出土分布図に驚く!

今朝、この夏で初めてのクマゼミの鳴き声を聞きました。あの騒々しくて暑苦しい音色も風物詩として風情を感じる年齢になり、嬉しいような、寂しいような・・・(^_^;)

必要があって、弥生時代前期の出土物の分布図を幾つか調べていて、とても興味ある解説に出会いました。東京国立博物館のWEBページに3年以上前から掲載されているブログで、要は当方の勉強不足を思い知らされた訳ですが、それは綾羅木郷遺跡に関連した展示の紹介記事でした。

主任研究員の古谷毅氏が投稿された解説文の中に、「弥生時代前期 綾羅木式土器・土笛等 分布図」があり、弥生時代前期~中期にかけて、響灘沿岸部から山陰・京都北部までの領域に出土する土笛の出土分布が、独特な山形重弧文や各種の貝殻文で知られる「綾羅木式土器」の出土分布圏と一致している事実が指摘されています。

それらの分布領域は、不思議なことに、九州では福岡県福津市・宗像市域を西限とし、響灘沿岸部までに限られているというのです。玄界灘沿岸より西側では、なぜか、出土してなくて、朝鮮半島でも未発見なのだそうです。稲作文化に深く関係する土器や土笛と思われますので、稲作が根付いている事では同質のはずの北部九州沿岸で、なぜ、玄界灘沿岸部と響灘沿岸部の間に分布の明瞭な境界があるのか?不思議な現象(出土事実)です。

解説では、「九州の響灘沿岸部から山陰の日本海側の弥生文化に共有されていた特有な文物で、独自の儀礼を伴う稲作文化」であった可能性も指摘されています、と述べ、続けて、「玄界灘や有明海沿岸などの北西部九州地方とは異なった地域文化の存在と、北東部九州と山陰地方の人々の交流」が浮かび上がります、と適確に指摘されています。控えめな表現ですが、これは注目すべき事実です。

弥生時代前期といえば、多元史観の古事記・神話像では、「国譲り」/「天孫降臨」が行なわれた時期であり、ニニギノミコトは福岡市の西側の沿岸部(吉武高木遺跡のある周辺)付近に「天降った」と推定できるからです。問題の境界は、この「史実」と重要な関係があるのではないでしょうか?つまり、オホクニヌシが支配していた“大国”領域(あるいは元の「葦原中国」領域)に対して、「国譲り」の結果得た「割譲地」である九州の玄界灘沿岸部にアマテルらの支配する天国(あまくに)から進出(「天孫降臨」)してきたという大事件に符合するものかも知れません。

古事記・上巻の記述は、戦後の古代史学界の通説のような「虚構の神話・伝承」などではなく、弥生時代前期に起こった史実の反映であった可能性がますます高くなってきているのでは、と思っています。(S.T.)

(図は、東京国立博物館 2014/02/21付 古谷毅主任研究員 投稿のWEBページより引用させて戴きました。 )

土笛、綾羅木式土器の出土分布図

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